40代サラリーマンの「なぜ生きる?」と七つの習慣

40代で「生きる意味」を知ったサラリーマンによる充実した生き方を求めての奮闘劇

第1-3話 エチケンの幼少期と七つの習慣(5歳)~HSP?

えちけんの歴史を七つの習慣によってひも解く。

 

これは、えちけんが幼稚園の年少組の事の出来事である。

当時は2年制の幼稚園が主流であり、えちけん5歳のお話となる。

 

 1.えちけんの歴史

えちけんは幼少期の頃は、集団になかなか馴染めない性格であった。

 

集団の中で「何をしゃべればいいのか」、「どうしゃべればいいのか」。頭の中で、まったく別のピースがたくさん混じったパズルをするかのように答えは永遠に出てこない。

ほんとうに苦痛だった。

もどかしかった、できない自分に。

 

ある日の、いつもの幼稚園での出来事だ。

 

幼稚園の教室で、少し広めの遊び場のような教室があった。

そこには、ピアノもおいてあり、少し大きめの積み木もあった。

先生が数人いた。そのうちの一人の先生が、「自由に遊んでいいよ」と言った。 

 

えちけんは、集団の中での「自由に」という言葉に嫌悪感を覚えた。

 

脳の思考回路が、停止をするための準備を始めている。

「自由に」という言葉がえちけんの脳から「自由」を略奪する。

えちけんは集団の中で「自由」に何かをする術を知らなかった。

 

1人なら完全に自由だ。

2人なら相手の出方を見る。好きなものが同じ相手となら自由に振舞える。

3人なら他の二人の出方を見る。自由は無い。だた、どちらかが構ってくれるので

ついていけばいい。

4人以上は、他の3人を出方を見る。当然自由はない。他に3人もいるので、特段仲のいい友達が混じっていなければ、構ってもらえない確率が高く、いてもいなくてもいい存在になる。

 

5人以上は、もはや自分の存在を消しても誰も気付かない・・・。 

 

その時も、えちけんは「自由に遊ぶ」ということに対して思考回路が停止した。

行き場を失ったえちけんはフラフラと教室の端にたどり着いた。

そして、座った。

壁を見るわけにもいかず、みんなが遊んでいる教室の中央部を向いて座った。

 

みんなが、積み木を列車のように並び替えて、その上に座って列車ごっこのような事をしている。そのシーンは今でも鮮明に脳裏に焼き付いている。 

 

その中に入っていっしょに遊びたかったか?

 

答えは「ノー」である。

 

とにかく、この「自由」な時間の終焉を全身で望んでいた。 

 

そんな時、一人の先生が微笑みながら、近づいてきた。

 

「みんなといっしょに遊ばないの?」

 

表情は微笑んでいたが、内面は困った顔をしていた。

それはそうだ。

「なんで一緒に遊ばないのか。」えちけん以外の人に分かる術はない。

ましてや、その当時のえちけんには、「一緒に遊ばない理由」を正しく先生に伝える能力を持ち合わせてはいない。

 

その時のえちけんは少しホッとしたのを覚えている。

自分を気に留めてくれている人がいた事に対してだ。

しかし、同時に「放っておいてほしい」という気持ちも芽生えた。

なぜなら、この流れは、この後、あの集団の中に入って遊ばざるを得ない状況になるからだ。

 

そして、想像通りそうなった。

 

優しい先生に手を取られながら、集団地獄に向かって、一歩一歩歩んでいった。

距離にして5mほど。

この世で最もおぞましい、地獄に続く一本の道。

 

「先生、この手を離さないで!!」

 

えちけんの心の声とは裏腹に、えちけんは集団地獄の中に無慈悲に放り込まれた。

遊ばない理由を説明もできず、自分の心の自由を主張することもできず、結果的に、「自由時間」はえちけんにとって「心を拘束された時間」となった。

集団地獄の中で、えちけんは積み木の列車に座って、苦し紛れに作り笑いをしてみた。

 

楽しくもないのに。

 

何のために作り笑いをしたのか?

 

誰も、えちけんが楽しんでいる姿を見てもいないのに。

きっと、自分の存在に気付いてくれた優しい先生を気遣ってのことだろう。

そして、作り笑いをしたところまでは鮮明に覚えているが、その直後の記憶は、全くない。

2.七つの習慣解説

当時のえちけんは第一の習慣「主体的になる」能力がゼロだったのでしょうか。

いや、そうではないと考えてます。

えちけんは最初、集団に入らないという行動を選択しました。

その後、確かに優しい先生に促されるまま、流される行動を行ってます。

自分で行動は選択できたけど、説明する能力がなかったので、周りに流されるという選択をとったと考えてます。

また、えちけんは優しい先生の言葉を傾聴する能力はありませんでしたが、相手の心を感じようとする能力が少しあったようです。

つまり、第五の習慣「理解してから理解される」の「理解してから」の部分ですね。

しかし、「理解される」のところで、理解されるための手段を知らなかったので、結果的に流される選択をとったという事ですね。

 

※ちなみに、ネットで調べたのですが、これって”HSP”ってやつのようですね。

この時に比べると、だいぶましにはなったのですが、集団の中は今でもやっぱり苦手・・・。

 

ガンバレ、えちけん!!

エイヤコラ、えちけん!!