第1-4話 えちけんの幼少期と七つの習慣(5歳-その2)~緑のキンキラ
えちけんの歴史を七つの習慣によってひも解く。
これは、えちけんが幼稚園の年少組の事の出来事である。
当時は2年制の幼稚園が主流であり、えちけん5歳のお話となる。
1.えちけんの歴史
ある時、幼稚園の先生たち、及び親たちにとって、世紀末のXデー以上の、全身を震わせるような超絶大イベントが開催された。
そう、「お遊戯会」だ。
特に、先生たちはこのお遊戯会を成功に終わらせなければいけない、唯一無二の理由が存在する。
それは、陰でこの幼稚園の全てを牛耳っている、園長先生の存在だ。
なぜなら、この園長先生は、あの閻魔大王と肩を並べる恐ろしさを秘めているからだ。
このえちけんも、一度、園長先生に六感すべてを麻痺させられ、地獄の淵まで引きずりこまれたことがある。
そのお話は、別の機会に。
そして、この絶大イベントを成功に終わらせる、たった一つの魔法のカギが存在する。
主役を演じる幼児だ。
この魔法のカギの選別を誤った瞬間から、蟻地獄の巣に足を踏み入れることとなってしまう。
ちなみに、お遊戯会の題目は「青い鳥」だ。
このお遊戯会を成功に終わらせ、「幸せ」を呼び込む「本当の青い鳥」とするのか、「第一級の地獄」を呼び込む「偽物の青い鳥」とするのか、すべてはこの主役を決めた時に8割決まっていると言っても過言ではない。
もちろん、配役は立候補ではない。
何もわからない、烏合の衆の中で、有り得ない輩が手を挙げてしまうことを避けるためだ。
先生たちは、全員の左脳と右脳を一つにまとめあげ、幼児全員の過去の振舞とこれからの未来の予測に全神経を集中させた。
そして、選出した。
幸せを呼び込む、魔法のカギを。
青い鳥のストーリーはまったく覚えていないが、男の子と女の子のダブル主演だったと記憶している。
そして、その主役は、もちろんえちけんではない。
では、えちけんはこの幸せを呼ぶ舞台で、何の役を演じたのか。
そう、「木」だ。
しかも、だだの「木」ではない。
あの、「木の妖精」だ。
配役の時の、「主役に選ばれなかった時の安堵感」と「木の妖精に選ばれた時の嫌悪感」が、複雑に絡み合い、この世でたった一つの図形を、エチケンの心の中に片付くった事が記憶の1ページに刻まれている。
「木の妖精」にはセリフは一つしかない。
主役の二人と森で遭遇した時に、何か言うのだ。
砂場にある、一粒の砂と同じくらい、誰も気に留めていない事なので、記憶の1ページにはあえて記録していない。
しかし、衣装は昨日の事のように記憶に残っている。
そう、「全身緑のキンキラ」だ。
つまり、葉っぱだけをイメージしていたようだ。
木の幹の部分はない。
渋谷のスクランブル交差点の、いつもと何ら変わりない、ある瞬間と同じように、先生たちにとって、どうでもいい事だったのだろう。
簡単に1色で終わらせたかったようだ。
そう、彼らには、「主役のお世話」というもっと大事なミッションがあるのだ。
ただ、演じる時は、枝を意識してか、両手を大きく広げることを、指示された。
えちけんは、それに抗う勇気もなければ、それに抗うメリットも感じられず、言われるがままに、宇宙の端を手に掴むかのように、めいいっぱい両手を広げた。
そして、本番、父親と母親が見て来てくれた。
彼らはどう思ったであろう。
全身緑のキンキラを着せられた我が子が、かませ犬のような役割で、その場で両手を広げて立っている、歴史的に滑稽なその姿を見て。
しかし、親はこういう。
「良かったよ。がんばったね。」
えちけんが親でもそう言ったであろう。
もしかしたら、親の目には、緑のキンキラが主役のキンキラのように写っていたのかもしれない。
何はともあれ、Xデーは過ぎ去った。
その後、裏の世界で先生達がどうなったのかは、歴史の1ページからは抹殺されている・・・。
2.七つの習慣解説
このお遊戯会は、先生たちが主役みないなものです。幼児たちの主体性はどこにも存在していなかったのでしょうか。
いや、そうではないです。
幼児達は、このお遊戯会を作り上げるための、知識・スキルが備わっておらず、「影響の輪」がほとんどありません。
そんな中で、幼児たちが主体的になるには、どうすればいいのか。
与えられた役割・演じ方を、一生懸命に実行する事です。
当時のエチケンは、その点では第一の習慣「主体的になる」を実行していた思われます。
※我が子は、保育園なのですが、先生たちは本当に大変そうです。給料がどれくらいか分かりませんが、もっとあげてください。
ガンバレ、センセイ!!
エイヤコラ、センセイ!!
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